日本から直行便で約8時間。
仏塔や遺跡が有名な国ミャンマーは、アジアのラストフロンティアとも呼ばれています。
現在は日本の企業も進出し、私たちになじみのある店もミャンマーに数多く出店しています。
そんなミャンマーですがかつては軍事政権下にありました。
「支配」「制圧」
軍事政権と聞いてそんなイメージがありましたが、ミャンマーの人たちと交流し、イメージは変わりました。
軍事政権下にあった国を訪れて、出会った人のこと、そして私が感じたこと。
これは10数年前の旅の記録です。
いざヤンゴンへ!学生と偽り入国
きっかけは学生時代からお世話になっている女性からの誘いでした。
ミャンマーに行くのだが一緒にどうかと連絡をもらい、すぐに行きたいと伝えました。
当時のミャンマーは軍事政権下にあり、私にとっては未知の国。見たことのない世界が見られる期待感でいっぱいでした。
その頃、田舎のマスコミで勤務していたのですが、現地に住む日本人から「マスコミ勤務ということは口に出さないように」と言われました。
政治的な問題で国全体がピリピリしていました。ちょうどある大手新聞社がミャンマーについて1面で報道しており、そのことも関係していました。
マスコミと言っても田舎の小さな会社。しかも営業の私に何の権限もないのですが、おとなしく従い、旅行中は「学生」になりきることにしました。
優しさの理由は来世で幸せになるため
当時の首都ヤンゴンは街中がアジア特有の乱雑さはありましたが、人々はとても穏やかでした。
かみたばこのようなものを売っているのを見つけ、好奇心から購入してみました。
「2チャット」と告げる女性にお金を渡そうとしたものの、大きいお札しかありません。そのことを伝えると、お金はいらないとただにしてくれました。
アジアを旅していて、お金はいらないなんて言われたのは初めてでした。
観光のために町に出たときは、「案内するから」とガイドの提案をしてきた少年がいました。金額の交渉をしたものの話がまとまりませんでしたが、彼は親切に乗り物の乗り方を教えてくれました。
人に親切にすることが当たり前になっている。それは現世で徳を積み、来世で幸せに暮らすという考えが根本にある。
現地で旅行会社を経営する日本人が教えてくれました。
宗教を肯定するわけではないけれど、仏教が生活に根づいている姿が、私には羨ましく思えました。
19th Street で出会ったシャイな青年
たまたま一緒に旅をしたメンバーがみなお酒好きだったため、夜は屋台などが並ぶヤンゴンの繁華街19番通りに出かけました。
街中ではビールの看板を目にすることがありませんでしたが、そこではビールの看板だらけで笑ってしまいました。
あやしげな謎の食べ物もありましたが、外で飲むビールはそれだけで最高でした。
いつのまにか店の青年と仲良くなり、帰るときには「See you tomorrow」と手を振ってきました。
結局翌日も青年のいる店へ通いました。
私たちを見つけると「待っていたよ」という感じで笑顔で迎えてくれます。
ビールをオーダーすると青年は最高の笑顔になり、ついつい頼みすぎてしまいました。
最後の1杯を注文するときに、指で1としめし、「お兄さん、ワン」と伝えると、彼はにやりと笑って2と指でしめしてきました。
「1でいいの?2杯だろ」
言葉はわからないけれどコミュニケーションはとれたし、注文するたびに青年とのやりとりを楽しんでいました。
ホテルへの帰り道、外は満月で、サイカーに乗って感じる夜風が最高に気持ちよくて、私はいい気分で日記には「めちゃめちゃHAPPYな日」とつづっていました。
テレビに映し出された遠い国の風景
私が旅した2年後、現地でデモがあり、僧侶や市民が軍と衝突しました。
ニュースで見るヤンゴンの街は、あのときのような穏やかさはありませんでした。
テレビに映るデモ隊の中にもしかしてあのときの青年がいるのではないか・・・、報道を耳にするたび気が気ではありませんでした。
グラスが空になるのを見つけると「もう1杯いくだろ」と笑顔ですすめてくる。そのくせ、写真を撮らせてとお願いすると急に真面目な顔になって。
カメラをまっすぐに見つめるあの顔を思い出し、どうか無事でいてほしいと祈り続けました。
たった数日間の旅だったけれど、旅で出会った人たちの姿は私の心に深く刻まれていました。
穏やかで人々が優しい国。
旅行者が見たミャンマーは数日間の旅では見えない大きな問題を抱えていました。
さいごに
その後ミャンマーは政権交代し、民主化への道を歩みはじめました。日本からは直行便で行けるようになり、遠い国ではなくなってきています。
私はあの時出会った青年のことを今でも思い出します。
もしかしたら今頃、おしゃれなカフェでスマホの画面を見つめているかもしれません。変わり続ける国の中で彼が今、どんなことを考えているのか。
わがままかもしれないけれど、いつか叶うならば、もう1度あの街で彼がすすめてくれたビールを飲みたい。そして帰り道は満月の下をサイカーに揺られて、「めちゃめちゃHAPPYな日」と言ってみたい。
満月の夜は、ふと青年のことを思い出し、そんなことを考えてしまいます。
旅は、「遠い国」を「会いたい人のいる国」に変えてくれます。
ニュースで報道される遠い国が、いつか会いたい人のいる国になることを信じて、これからも旅を続けていきたいと思います。
では。