「希望に胸をふくらませて」
当時の私はまさにその言葉通りでした。
営業時代は年収もそこそこで、おそらくそのまま仕事を続けていれば、年に数回は海外旅行に行けたはずです。
それでも私はその仕事をやめて福祉の道に進むことにしました。
得意先の先生たちは医療ソーシャルワーカー(社会福祉士)を近くで見ているので、応援してくれた先生もいれば、「いばらの道を進むね。MRをやめるなんてもったいない」という先生もいました。
不安がないと言ったら嘘になるけれど、30歳近くになって仕事をやめて専門学校に通うことは刺激的でわくわくしたし、予想通り充実した学生生活を送ることができました。
就職先もスンナリ決まり、希望していた社会福祉協議会から内定をもらうこともできて。
希望に胸をふくらませ、新しい1歩を踏み出した・・・はずでした。
3月25日に人事へ配属先の確認の電話をいれて、告げられたのは「障がい者のサービス事業所」の配属。
あれ?社協で地域福祉とかボランティアとかやりたかったんだけどな
でも仕事なんだから自分の希望通りの配属なんかならないしこれも良い経験。障がいのある利用者さんの相談にのったり家族の話を聞いて、なんらかの支援ができるはず。
いろんな葛藤がありながらも自分に前向きになるよう言い聞かせて、仕事にのぞむことにしました。
3月30日に退職する前任者の引継ぎとあいさつをかねて施設に初めて顔を出しました。
そこで前任者からもらった引き継ぎ書には大きく「クッキー」の文字。
「クッキー作業について」で始まる手書きの文書には、クッキー製造の流れがびっしり書かれていました。
材料注文(マーガリン・小麦粉・グラニュー糖・卵・トッピング・シリカゲル)
これまでほとんど縁のなかった言葉が並びます。(お菓子作りとは無縁の生活)
「クッキングシートは早めに注文」というところは、丁寧に波線で協調されていました。
地域福祉・・・ボランティアセンター・・・相談業務・・・思い描いていた仕事が遠くに離れていくのがわかりました。
そうして地域福祉推進を目指し、熱く燃えて社協に入職した社会福祉士1年目。私はクッキー職人の道を歩み始たのです。
クッキー職人の1日は白衣を着てマーガリンを計量することから始まります。
前日に計量した小麦粉やグラニュー糖をテーブルに並べ、その隣にはボールに入った200グラムのマーガリンを次々置いていきます。
材料の下準備とテーブルのセッティングが終わると、次はオーブンの準備。
オーブンに入った鉄板をすべて出し、1枚1枚クッキングシートを敷いていきます。
その後オーブンのスイッチをいれるのですが、グォーンと低い音がして、それを聞くと「あ、今日も1日が始まった」となんとなく気が引き締まりました。
「ふくし」の「ふ」の字も出てこない仕事。
下準備の合間の朝礼の時間に、「ケース検討」とか「相談支援事業所」という言葉が出てきて、自分が福祉職であることを思い出すのです。
でもいざ製造が始まると、またすぐにクッキー職人に戻っていました。
オーブンの予熱をいれてその間に利用者さんと生地を作っていきます。
12時までに袋詰めまで完成させるというタイムリミットがあるのでみんな必死でした。
1つ断りをいれておくと、この事業所は一般就労が難しい人たちが通う施設です。なかなか集中力が続かなかったり、おしゃべりがとまらない人もいて、普段は笑えるくらいにぎやかなのです。
それがクッキー製造のときだけは別で、みんな何かにとりつかれるようにクッキーを作っていました。
利用者さんがスプーンで器用に丸めたドロップクッキーと職員が作ったBOXクッキーが鉄板に並んでいきます。
ブー
オーブンから響く予熱完了の音。
部屋中に響くその低い音は合図、焼き上げ開始のサイン。
手の空いた職員が鉄板を次々をオーブンに入れていきます。
オーブンは2つ同時に稼働させていたので、2つのオーブンから聞こえるブザーに最初は混乱しました。同じ音がなるため、どちらのオーブンの予熱完了を知らせる音かわからなかったのです。
でも次第にそれも慣れていきました。
いつの間にか違う作業をしながら「右のオーブンに鉄板を入れていってください」と他の職員に指示ができるようになっていました。
日に日にクッキー職人として腕をあげていました。
毎日マーガリンを切っていたから、計量しなくてもだいたい200グラムはどれくらいの大きさかわかるようになりました。
袋にシリカゲルを入れたり、シーラーで封をする作業も、どんどん早くなっていました。
もちろん福祉職らしいことはしていたものの、仕事の半分はクッキー作りで、マーガリンを切り、生地をこね、成型して焼き上げて袋詰めするという1連の流れが体にしみこんでいました。
私はクッキー作りに夢中になっていたのだと思います。
いつもは仮面ライダートークがとまらない利用者さんも、ベートーベンに会いに行くと話す利用者さんも、そして私も、みんなクッキー作りに夢中になっていました。
知り合いと会うといつもクッキーの話をする私の職業は、いつの間にか「クッキー職人」として友人たちから認知されていました。
美容室で仕事の話をするときも「クッキーを作っています」と話していたので、私のことをお菓子屋さんだと思っている美容師さんもいたくらいです。
職場に掲げてある食品衛生責任者のプレートには私の名前が書かれていて、それもちょっと嬉しく思っていました。
このままクッキー職人としてやっていくのも悪くないかも、なんて思っていました。
クッキー職人歴ももうすぐ4年。いよいよ5年目に突入だと思っていたときに辞令がありました。
配属は介護保険の担当。
もともと人の相談にのる仕事がしたくて選んだ職場。それは最初の希望が叶った人事でした。
でも内示を見ても全然嬉しくなくて、それどころか私は異動するのが嫌で嫌で仕方ありませんでした。
フェイスブックでは「これまで利用者さんから教わったことを大切にして新しい場所でも頑張ります」なんて友人向けにあいさつを書いたけれど、本当はいつかまたクッキー職人に戻してほしいと思っていました。
組織にいるから仕方ないというのは頭で理解していたものの、新しい部署での仕事に対しての熱意はあまりありませんでした。
新しい部署は1年後には縮小し2年後には閉鎖することが決まっていたのです。
やっと介護保険の仕事を覚えて担当利用者さんの顔や名前を覚えても、その頃には別の事業所に引継ぎ開始。そんなところに介護保険分野未経験の私を配属する理由がわかりませんでした。
仲の良かった先輩に人事異動についてたくさん愚痴を言った後に気がつきました。新しい部署への配属がどうこうではなく、ただ私は施設を離れるのがさみしかったのです。
思いつく限りの不満と新しい仕事への不安を口にしたら少しだけすっきりしました。
施設の勤務最終日。
その日は珍しくクッキー製造がなく、とても穏やかな1日でした。
仕事の合間を見て桜を見に行こうと上司が提案してくれて、そこで利用者さんたちと写真を撮りました。
ドロップクッキーの形を作るのが苦手だった人も、袋づめが大好きでその作業は誰よりも早かった人も、最後の数チェックの仕事を他の人に取られないようにいつも必死だった人も、みんな笑顔でした。
その後施設に戻って仕事を再開するとすぐにいつもの空気に戻りました。
いつもとちょっと違っていたのは、休み時間や帰宅時間に利用者さんの何人かが手紙をくれたことです。
利用者さんのご家族からも手紙などをいただいて、自分が施設を離れることを改めて感じました。
利用者さんの終礼をしていつも通りみんなを見送り、その後は静かになった職場の掃除をしました。
明日も明後日も1年後も5年後も予熱完了のブザーを聞き続ける気がしていたのに
あの場所でもう2度とブザーの音を聞くことはない
福祉の仕事がしたかったのにクッキー作りをすることになった4年前。あんなに戸惑っていた私はもうそこにはいませんでした。
どんなにおしゃべりが好きな人もクッキー作りのときは静かに黙々と作業をして、聞こえるはオーブンのブザー音だけ。
その理由が4年たってわかりました。
どんな人でも好きなことは熱中できるし夢中になれるのです。
それは障がいがあってもなくても関係なくです。
今もあのオーブンは稼働していて、利用者さんたちも変わらずあの場所でクッキーを作っています。
ブー
「予熱が終わったからオーブンに鉄板を入れてください」
ブザーを合図に変わる空気
明日も明後日も1年後も
私ではない誰かが
予熱完了の音をきっかけに指示をしているはずです。
あの熱は冷めることなく、今もずっと引き継がれています。