福祉

言葉の可能性とコミュニケーションの話

数ヶ月前に収益ゼロのブログについて記事にしました。(「収益ゼロのブログを13年間続ける理由」

ツイッターを通じて予想以上の方に読んでいただいてとても驚いています。

相変わらずもう1つのブログには嬉しかったことなど、残しておきたい言葉をつらつらとつづっています。

私にとって言葉は大切なものであることに変わりありません。ただ数年前から、言葉に対しては気持ちの変化が起きています。

言葉に頼りすぎていると感じることがよくあるのです。

私にとっての言葉とコミュニケーションについて。

もう1度大切なことを思い出したくて記事にしました。

言葉の可能性は演劇が教えてくれた

小学校の頃、親のすすめで市の児童劇団に入団したことがきっかけで演劇に出会い、お芝居の楽しさを知りました。

残念ながら入学した中学には演劇部がなかったため他のクラブに入りましたが、高校・大学では迷うことなく演劇部に入部しました。

昔から演じることが大好きでしたが、それ以上に演劇を観ることが大好きでした。

田舎の高校生だったためなかなか観劇の機会がなく、お小遣いをためて友人たちと行く年に1回の観劇ツアーという名の東京旅行だけが楽しみでした。

当時は、つかこうへいや野田秀樹、鴻上尚史の芝居が大好きで、芝居好きの友人たちと演劇トークでよく盛り上がっていました。

主人公のセリフに涙したり、共感したり、笑ったり。

大学生になると将来が不安で不安で仕方なくて。でもそんなときも演劇のセリフに救われていました。

私に言葉の可能性を教えてくれたのは、間違いなく演劇でした。

広告の力を考えた大学時代

高校時代から「表現すること」に関心があり、その流れで大学では広告マーケティングを勉強していました。

消費者行動論とかマーケティング論とかも面白かったけれど、広告の授業は特に面白くて、いつもワクワクしながら聴いていました。

漠然とマスコミ業界に憧れて就職活動をしていたものの、ちょうどその頃、フィリピンやタイの貧困問題に関心を持っていたこともあり広告の見方が変化しつつありました。

それまで芸術的視点でCMなどを見ていたものが、私の中でビジネス視点へ変化していたのだと思います。

なんとなく、広告に対して負のイメージを持つようになっていました。

言葉で人の欲望を浮き彫りにし、そして人の心を動かすこと。

「これだけ消費を煽って、本当に人は幸せになったのか」

そんなことを考えるようになったのです。

今思えば就職氷河期でちょっと病んでいたのかもしれません。その頃の私には言葉がこわいものに思えて仕方ありませんでした。

福祉の世界では言葉は無力?

いろいろ悩みながら就職し、やっぱり心疲れて何度か仕事から離れたのちに、私は福祉の仕事につきました。

相談援助論とかそういった授業を受けるうちに、また言葉の可能性を感じ、言葉の1つ1つを大切にしたいと思うようになっていました。

ある時、デイサービスでの実習があり、言葉について考えさせられる出来事がありました。

デイサービスでは介護度の重い利用者さんもいて、思うようにコミュニケーションが取れなかったのです。

こちらの声かけに反応がなく、明らかに一方通行のコミュニケーションになっていました。

文字にするとたったこれだけの出来事ですがとてもショックでした。それと同時にこれまで言葉に頼りすぎていたことを痛感しました。

思えば営業時代は法人営業や医師向けの営業で、会話が成立して当たり前の世界にいたのです。

社会福祉士となり、障がいのある人たちの支援に関わるようになると、さらに言葉以外のコミュニケーションが求められるようになりました。

その頃から「言葉の力は偉大だけど、そこに頼りすぎてもいけない」と感じるようになりました。

言葉以外のものでコミュニケーションをとること

4年間施設で働き、言葉以外のコミュニケーションを少しずつ学んでいきました。

自閉症の人の支援であったり、知的障がいの方の支援で、例えば視覚に訴えるやり方をとったりして、言葉以外で伝えることを実践していきました。

施設を離れるときには、完璧にはいかないけれど、行動やしぐさ、表情などで少しだけ思いを読み取れることも増えてきました。

その技術はその後、高齢者の相談業務についてからも役立ちました。

言葉が出ない人の意思をくみ取ること。

それは容易なことではないし、いまだに出来ないことも多いです。

でも以前のように言葉に頼りすぎることはなくなり、その人の持つ世界を理解しようと努めるようになりました。

さいごに

言葉について急に思い出したのは、毎日の育児がきっかけでした。

子どもが少しずつ言葉を理解し始めて、どうしてこちらの言うことが伝わらないのかとイライラしてしまうことがあったのです。

これは生まれたての赤ちゃんだった頃には感じなかったことです。

通じて当たり前、わかってもらって当たり前。そんな世界に慣れきっていました。

そして最近は誰に対しても、「言えばわかってもらえる」という気持ちが心のどこかにありました。

言葉はこれからも大切にしたいです。でもそれ以外のコミュニケーションも大切にしていきたいと久しぶりに思いました。

同時に、私の大好きなお芝居やCMが、言葉以外のものでも成り立っているという大切なことを思い出しました。

ブログやツイッターでは、言葉で伝えてコミュニケーションをとるしかないけれど、もしいつかあなたに会う機会があれば、あなたの持つ世界や空気を感じてみたいです。

あなたがこれまでどんなことに喜んで、どんなことに悲しんできたのか。

それを感じ取れるように、ソーシャルワーカーらしく日々成長していきたいし、大好きなお芝居のように、いつか私の想いを言葉以外でも表現できるようになりたいと思っています。

では。