メンタルヘルス

【うつ体験記】うつ病だった私が妊娠するまで

今年の夏、娘が1歳になりました。

この1年はあっという間で毎日ヘトヘトになりながらやってきましたが、それ以上に平和で穏やかな日々でした。

そんな私ですが数年前までは毎日薬が手放せず、フラフラになりながら働いていました。

うつ病で妊娠できるか不安だったあの頃。

ふと記録に残しておきたいと思って、記事にしてみました。

うつ病に気がついたきっかけは食欲不振

まじめで頑張り屋、そして明るい。周囲から見た私のイメージです。

血液型はB型ですが、「B型に見えない。A 型かと思った」とよく言われます。変なところできっちりしているからかもしれません。

本当は大雑把だし適当なのですが、人に嫌われるのが怖くて無理してしまうところがあります。

そんな私が新卒で入社したのは地元のマスコミでした。

マスコミと言っても部署は花形の編集や制作などではなく営業。そこで待っていたのは飛び込み営業と締切と売上ノルマでした。

もともと人見知りの私にとってそれは大きなストレスでした。

 

現場に出て1ヶ月頃、突然食欲がなくなりました。

肉好きの私が肉を食べられなくなり、お昼は毎日職場近くのうどん屋さんで冷たい納豆うどんを注文していました。

不思議とそれだけは食べられたのです。

2週間近くそんな調子だったので、これはおかしいと胃腸科へかけこむと診断は「自律神経失調症」。

ネットで調べると「ストレスが原因」という言葉が並びます。

胃腸科でもらった薬もすぐになくなり、仕方なく電話帳で見つけた心療内科を受診することにしました。

病院では安定剤などを処方されました。

そこから私の心療内科との長いつきあいが始まります。

一番最初に処方されたのは「ドグマチール」でした。

それからあらゆる抗うつ剤や安定剤、眠剤を服薬することになるのです。

 

うつ状態がひどく眠れない毎日

安定剤を服用してもストレスの原因が取りのぞかれていないため、調子の悪い状態は続きました。

夜になると不安になりなかなか眠れません。

当時ドラマの海猿が流行っていて、海猿のサントラをエンドレスで聞いていました。

結局、医師から会社を辞めるようにアドバイスを受け仕事から離れることにしました。

 

その後1年半くらい仕事をせずに療養したおかげで、薬を飲まずに生活できるようになりました。

新卒で入社したからには「3年は頑張る」という変なこだわりがあったのですが、体を壊してまで仕事をすることに意味はないと学びました。

当時、眠れないということで出されていたロヒプノール。

気がつくと最大用量まで処方されていました。

6年間妊娠できなかった理由

病院通いも必要なくなり、その後転職して新しい土地での生活がスタートしました。

まさに心機一転です。

 

前回の反省を活かして少しでも調子が悪いと感じたら早めに受診することにしました。

予防の意味もこめて専門家の力を借りたかったのです。

 

結婚生活や転職、仕事のストレスなどで何度か調子を崩しましたが、そのたびに薬を変更したり増量するなどしてやってきました。

 

眠剤は弱いものから強いものまで有名なものはほとんど服用したかもしれません。

仕事で精神科の薬を営業をしていたので、仕事でもプライベートでもメンタル系の薬には詳しくなってしまいました。

 

結婚して名字が変わると「子どもは?」と聞かれることが増えました。

 

何気ない質問

 

「仕事に夢中だからあまり考えていない」と笑ってごまかしていましたが、正直この質問は精神的にこたえました。

 

私が病気でなく薬を飲んでいなければ妊娠を考えたい・・・

 

薬を服用しないと生活できなかったため、言いたいことをぐっと飲みこみ、なるべく考えないようにしていました。

この頃にはデパスを何錠も口にいれてなんとか仕事をしていました。

ストレスケア病棟での入院も3回経験。

一番ボロボロの時期でした。

気持ちの浮き沈みとつきあう日々

天然ママにやられる

気がつくと結婚して6年。

当時、女性の多い職場で働いていましたが、休み時間はみな決まって子どもの話でした。

 

隣の席の育休明けで復帰したばかりの先輩は、七五三の計画や子どもが夢中になっているアニメの話などをよくしてきます。

適当に相槌をうっていると決まって最後に「ヨーコちゃんも早く子ども作りなよ!絶対楽しいよ」という言葉。

 

そして「妊活、一緒に頑張ろうよ!」

 

・・・意味がわからない。妊活って誰かと一緒に頑張るものなの?というか、あなた育休明けだよね。

今思えば悪気はないし、いわゆる天然の人だったなと笑えます。

でも天然ママの破壊力は抜群でどんどんその人の言葉にメンタルがやられていきました。

 

異動になったばかりで仕事も精神的にハードな時期。薬を飲まないと仕事ができない薬を飲むと妊娠できない。

この頃には自分が何をしたいのかもよくわからなくなってきました。

おじさん医師に救われる

そんな時に救われたのは主治医の存在でした。

私の主治医のN先生はとにかく私服がださいおじさん(笑)

なぜその柄を選ぶ?という服をよく着ていました。

 

でも話し方はとても穏やかで研究職から医師に転身した異色の経歴からか、説明はいつも論理的でわかりやすい人でした。

何度も調子を崩しそのたびにN先生に泣きついてきましたが、ある日、まじめな顔でこう言いました。

 

「仕事だけが社会じゃないよ。妊娠して出産することも社会に貢献することだから」

 

仕事で認められたい、社会のために働かなければ

 

そんな思いに取りつかれていた私には驚きの言葉でした。

 

専業主婦という生き方もあること

専業主婦にも経済的価値があること。

 

丁寧にわかりやすく説明してくれました。

その言葉で仕事ではない生き方も考えるようになりました。

薬を飲みながらの妊活スタート

仕事をやめてしばらく休養した後にパートの仕事に就きました。

仕事の合間に婦人科に通院し不妊治療も受けることにしました。ストレスで無理し続けたためカラダはボロボロだったのです。

N先生は将来の妊娠を考慮し薬を調整してくれました。

少しずつ減薬しながら妊娠中に服用しても問題ない薬に変えていきました。

薬を変更するたびに「これは影響のない薬だから」と説明してくれ、その言葉がとても心強かったです。

国立成育医療研究センターの「妊娠と薬情報センター」など妊娠・授乳中の服薬についての情報機関もあります。 「妊娠と薬情報センター」ホームページ

 

うつ病だった私が妊娠しました

正社員からパートへと働き方を変えてその年に妊娠しました。

もともと妊活を考えて正社員をやめたため、パートは雇用期間のある仕事を選択していました。パート先の方からは期間を延長して、出産前まで働くことを提案されましたがお断りしました。

だいぶ良くなってはいたもののまだ薬が手放せなかったからです。

自分がこだわっていた正社員や仕事から離れることは勇気が必要でしたが、離れてみたらものすごく楽になり生き方を考えなおすきっかけになりました。

N先生は「あなたの人生の転機だね」と穏やかに言いました。

13年間の病院通いから卒業

専業主婦になり自分で自由に使えるお金がないという不自由さはありましたが、生活はずっと健康的になりました。

薬を飲まなくても寝られるし不安感に襲われることもない。

当たり前のことが私にとっては新鮮でした。

 

安定期に入ってついに心療内科の通院は終了しました。

 

N先生とのつきあいは約10年になっていました。

先生は私の最後の通院の日もださいままで花柄のシャツを着ていました。

突然届いた友人からのメール

妊娠中は、医師や友人からは口をすっぱく「産後うつには気をつけろ」と言われていました。自分でもかかえこんでしまうことがわかっていたので、無理しないように注意しました。

無事に出産して、友人たちは「何かあったらいつでも手伝いに行く」とメッセージをくれました。

みな遠方に住んでいてすぐに助けを呼べる距離ではないものの、その気持ちが心強かったです。

 

モスクワに住む大学時代の友人は何年も会っていなかったのですが、私の産後にメールをくれ、夜何度も起こされるという愚痴を聞いてくれました。

 

いざとなったら頼れる人がいるというのは支えになります。

妊活中は心療内科の医師の存在に助けられ、産後は友人たちが心の支えになりました。

 

うつ病歴ありアラフォー主婦の産後うつ予防対策心療内科通院歴13年。 症状が落ち着いて通院していない時期もありましたが、その時期を除いても10年以上は通院しています。 過...

 

さいごに

心療内科を卒業して1年半になります。

薬を飲む生活が当たり前だった日々から、薬を飲まずに生活する毎日が今は普通になってきています。

妊活中や妊娠中は薬を飲んでいることで影響があるのではと不安で、ネットで「うつ病 妊娠」と何度も検索していました。

産後はまた再発したらどうしようと考えたこともあります。

 

でも今はなんとか再発もせず生活しています。

 

心を壊してから回復まではものすごく時間がかかります。仕事やお金のためにダメになってしまっては何の意味もないのです。

10年以上心療内科に通い続けた私から偉そうに言えることなんてないけれど、信頼できる医師や病院が見つかればなんとかなるというのは自信を持って言えます。

あの頃には決して戻りたくないけれど苦しかった経験は無駄ではなかったと思います。

 

10年間の通院では診察後によくメモを残していたため、おじさん医師の心に響く言葉集ができあがりました。

 

「辛いときは将来を見ないで一歩一歩進んでいけばいいんだよ」

 

今度は私が花柄のシャツを着て、前に進めずに立ち止まっている誰かにそっと声をかけられる日がくることを信じて・・・

 

先生の言葉を思い出しながら今日も育児に奮闘しています。