「で、配属希望はどこ?東北?関東?」
地元希望とか関東希望って言っていたら未来は変わっていただろう。
でもあのときの私は持ってる限りの想像力をフルに働かせて希望勤務地を伝えた。
「雪がなくてあったかいところ」
今思えばすごくバカっぽい。
でも前職の営業時代、雪道でスリップして田んぼにつっこんだことを考えると地元配属は避けたかった。(しかも社名が書かれた車で事故を起こした)
大学時代を過ごした関東配属になれば週末は友人たちと遊べるかもしれない。
でも関東希望と言えば高速を利用する可能性大。
首都高を走る?
無理!無理!無理!
自動車学校の高速教習で、スピードを出せずに教官にこっぴどく叱られた記憶がよみがえる。
そうなると雪がなくて高速を利用しなくて良い土地。
九州?
どうしてあそこで九州希望だとはっきり言わなかったんだろう。
配属希望の面接を担当してくれた人事部長の顔を思い浮かべる。
「配属は人を見てかなり考えてやってるんだ」って言っていたけれど、まさか縁もゆかりもない、友人もいないところに配属するなんて。
いや人事部長はちゃんと希望を聞いてくれていた。
だって私は「雪がなくてあったかいところ」に配属になったのだから。
MRとしての1日は医薬品卸の訪問から始まる。
医師向けに薬のPRをするのが仕事だけど、メーカーと病院との間には卸の存在があって、価格交渉や納品などは卸の人たちがやってくれる。
卸にはベテラン営業マンも多くて、得意先のことなら何でも知っている担当者も多かった。
毎朝、卸を訪問して、自社製品のパンフレットを渡したり、得意先の動向を聞きながら、最近得意先で変わったことがないか探る。
とても重要なことだ。
でも私はこの卸訪問がとにかく苦手だった。
まずベテラン営業マンは口調がキツイ。
地元出身の人が多いから、当然言葉のイントネーションも標準語とは違う。
「じゃんだらりん」
こっちの方言をそんな風に表現する人もいる。
それだけ聞くとかわいいけれど実際に聞くとそんなことはない。
「前にあの製品のパンフレットお願いしてたじゃんねぇ」
強い口調で「じゃん」と言われると、私は小さく「ハイ」と返事するしかない。
東北生まれ東北育ちの私には、それが怒られているように感じて毎日しんどかった。
卸訪問が苦手だったもう1つの理由は、毎朝何十人ものMRが訪問することだった。
他のMRに遠慮していたらいつまでたっても卸の担当者と話せない。
勇気を出して話しかける。
が、撃沈。
やっと話せたと思ったら、キツイ口調で軽くあしらわれたことも1度や2度ではない。
卸の担当者も暇ではない。朝礼後には納品準備などでバタバタする。
その合間に私たちは話しかけるのだ。
販促品やパンフレットを詰め込んだ鞄が重く感じる。
卸とのやりとりで心折れそうになるたびに配属希望確認の面接を思い出していた。
ちなみに、毎朝卸の支店にたどり着くまで片道1時間以上運転する。
気持ちをあげるため車内ではサラブライトマンの曲を大音量で聞いていた。
佐藤浩市が出演するトヨタマークXのCMで流れていた曲。
「今日の部長、頭下げすぎでした」
「でも素敵でした」
あんな部長の下で働きたい〜!
曲を聞いて妄想をしながら毎日卸に通うのが私の日課。
おじさんたちを相手に心折れそうになりながらも、いつか佐藤浩市みたいな人が目の前に現れることを信じて毎日仕事していた。
そんな私に救世主が現れた。
年上だけど童顔のサワヤカ卸担当者カネモトさんが新しい担当としてやってきたのだ。
仕事ができると評判の人だったけれど、他の担当者のように口調もきつくなくて優しかった。
数字で困っていると何度も助けてくれたし、お礼を言うと「別にいいよそんなの」って笑ってくれる。
佐藤浩市が心の支えだった私はいつしかカネモトさんが心の支えになっていた。
実は本人に「カネモトさんって優しいですよね」と伝えたことがある。
その時の返事は「みんなに優しくしてるわけじゃないよ。全然会話しないメーカーさんも多いし」だった。
ん?
それって私だから優しくしてくれてるってこと??惚れてもいいですか⁉︎
そんな感じで私はカネモトさんの言動に一喜一憂していた。
一時期営業数字が落ちて外回りがしんどい時期があった。
「うち(カネモトさんの会社)に来ても、すっと帰ってた時期があったでしょ」
「まあ、色々あるよね。この仕事してると」
毎日何人ものMRが卸を訪問する中で、カネモトさんは私を気にかけてくれてさりげなく声をかけてくれる。
浩市フィーバーは落ち着いていつしかカネモトフィーバーがきていた。
そんな感じで「カネモトさんかっこいい!」と営業所でも散々言い続けて、先輩たちには呆れられていたけれど、それも数ヶ月で落ち着いてしまった。
実は得意先の薬局の忘年会で、ある卸の担当者と意気投合して付き合うことになったのだ。
今までその人と会えば挨拶はしてたし軽く話をしたことはあるけれど、意識したことは全然なかった。
「年上が好きなんです」と私の好みを薬局の事務のお姉さんに伝えたら、紹介されたのが目の前にいたその人というだけ。
メガネで年上しかも彼女はいない。
ま、ありかな。
そんな軽い気持ちで付き合い始めた。
卸担当者とMRの恋愛は全くないわけではない。
でも卸同士は数字のことでバチバチやりあっていたし、MRは卸担当者から情報をもらわなくてはいけないという複雑な関係。
だから付き合ってもオープンにできないし内緒で付き合っている人が多かった。
私もカネモトフィーバーが落ち着いていたけれど、周りの人たちには「カネモトさんかっこいい」と言い続けた。
そしてそれは結婚のために会社を辞めるときまで続けた。
カネモトファンを装いながらカネモトさんのライバル営業マンと交際していたのだから、結婚を報告した時みんな驚いた。
カネモトさんもちょっと驚いていたけれどおめでとうといつもの笑顔で返してくれた。
会社を辞めるときカネモトさんは数人で送別会を開いてくれた。
私が地元を離れてこっちに友人がいないことも、話し下手で営業が苦手なことも知っていたから「良かったね」と笑顔で乾杯してくれた。
その笑顔を見て思った。
私やっぱりカネモトさんに憧れていたんだ。
方言が飛び交い強い口調でメーカーを相手する担当者が多い中で、カネモトさんは異質だった。
話すだけでほっとしたし私にとって大きな存在だった気がする。
あんなに方言が嫌だとか口調がキツイのが苦手とか言っていたのに、結局私は口調がキツイ人と結婚した。
苦手だった方言にもいつしか慣れてきた。
今でも夫は現役営業マンで私が担当していたエリアで営業をしている。
夫からカネモトさんの名前を聞くたび胸がツンとしたけれど、いつからかカネモトさんの名前を聞くこともなくなった。
カネモトさんは数年前に課長になって現場から離れたということだった。
薬のPRをしていた20代。
知り合いもいない土地でのスタートは本当に心細かった。
転職前に友人たちからは「きつい仕事だけど大丈夫か?」と心配された。
確かにきつい仕事だった。
常に数字に追われていたし、競合他社ともバチバチやりあわなくてはいけない。
でもあの頃の私はいろんなものや人に支えられてなんとかやっていた。
MR時代、鞄に入っていたのは薬のパンフレットと、ときめきと妄想。
それは見知らぬ土地で再スタートした私の心の支えだった。
MRを辞める時に鞄は処分してときめきも妄想も一緒に捨てた。
今はもうスーツを着て頭を下げることはないし、ヒールを履いて人前でプレゼンすることもない。
たぶん誰かに憧れて心ときめいたり妄想することもないだろう。
サラブライトマンの曲を聞くたびに思い出す。
毎日通っていた卸への道や毎日PRしていた薬のこと。そしてずっと憧れていた人のことを。
それはとても懐かしくちょっぴり切ない遠い遠い昔の話。