メンタルヘルス

【3000文字チャレンジ】ストレスケア病棟で過ごしたある夏の日の話

カラカラカラ

部屋の外でカーテンを開ける音がする。枕元のスマホで時間を確認すると朝7時前。深夜何度か目が覚めたが明け方から朝まではしっかり眠れた。

 

あと30分もすれば朝食が運ばれてくる。

朝食は昼食や夕食と比べるといつも質素だ。ご飯とふりかけ、濃いめの味噌汁、そして豆やひじき煮とか。でもこれまで朝食を食べない生活をしていたので何の不満もない。

 

朝食が終わると食器は自分で片付ける。配膳してくれた夜勤スタッフに食器がのったお盆を渡し、朝の薬があるときは薬を渡されてその場で服用する。

 

部屋に戻って歯磨きをして顔を洗ってからぼんやりテレビを見る。9時過ぎには日勤の看護師さんが部屋に来て検温などの時間。生活に慣れてくるとスタッフの顔や名前もだいたい覚えて、「今日の日勤は誰だろう」なんて考えるのが楽しみになっていた。

 

検温の後は清掃業者の人が来て部屋を掃除してシーツなどを替えてくれる。

 

昼まではテレビを見たり、部屋で音楽を聴いたり、絵を描いたり、日記を書いたりして好きなことをして過ごす。昼食後は陽の当たる廊下に椅子と小さな机が置いてあるので、そこでお茶を飲みながら読書することが多かった。

窓際の席は私のお気に入りスペースになっている。小さくオルゴールの音楽が流れているだけで雑音などはない。そこはとても静かで読書をするには最高の場所だった。

読書をして少し眠くなったら部屋に戻って横になる。

 

そんなことを繰り返していると気づくと夕方になっていて今度は夜勤の看護師さんが部屋に挨拶にくる。

 

夕飯を食べてお風呂に入って21時消灯。

21時なんて寝られるわけないし、最初は「寝なくちゃ」と思えば思うほど寝られなくなって苦労した。でもあるとき「眠れないなら無理して寝なくていいよ」と声をかけてもらって、それからはすぐには眠れないのは相変わらずだったけれど少し楽になった。

 

 

検温や週に何度かの診察がなければビジネスホテルに滞在するのとあまり変わらない。スマホも自由に使えたし外出も声をかければOKだった。

 

 

入院中は週に数回作業療法の時間があった。図工や美術は苦手だったけれど物を造るために集中する時間がとても好きだったので作業療法は楽しみの一つになっていた。

その日の作業療法は革細工。金槌で花の模様のついた金具を打ち込んで革に模様をつける。その後色付けなどをして完成した「しおり」は今でも大切に使っている。

 

スポーツジムというほど大規模なものじゃないけれど、運動器具が置いてある部屋で運動する時間もあった。希望者はエアロバイクをこいだりできる。

部屋にいることが多かったのでこの運動の時間はとても貴重だった。

 

そういえば1度だけ「マジックショー」なんていうのもあった。マジックをやるボランティアグループが入院患者のためにショーを見せてくれるのだ。

部屋でのんびり過ごすつもりでアナウンスもあまり聞いていなかったのだが、私が心の中で姉さんと呼ぶナースに「ほら、マジックショー行くよ!」と無理やりホールに連れて行かれて観覧することになった。

マジックショーはトランプのマジックや鳩やカラフルな布が出てくる定番のものだった。でも観客(入院患者と看護師)の多くは鳩が出れば歓声をあげ、カラフルな布が帽子から次々と出てくれば精一杯拍手した。

 

 

そこはとても平和な世界だった。

 

 

ちょうど入院したのが夏だったこともあってある看護師さんには「大人の夏休みだよ」と言われた。

久しぶりの夏休み。

いや、宿題もなくてこんなに長い休みは初めてかもしれない。優しいスタッフたちにしっかりケアされて私は夏休みを満喫していた。

 

 

そもそも私がここに来ることになったきっかけは医師の一言だった。

「入院したほうがいいよ」

先生のその言葉にほっとしている自分がいた。初めての入院ではなかったので「またあの場所に帰れる」という気持ちが大きかったのかもしれない。

 

身体が震えたり、不安発作があったり、死にたいと思ってしまったり・・・。もう何年もここまでひどく症状が出ることはなかった。

いつもは心が反応するのにそのときは違っていた。珍しく身体が先に不調を訴えていた。脱水症状、7年ぶりの38度台の熱、食欲不振、下痢や腹痛、そして不眠。体重も1ヶ月で6キロ近く落ちた。

それでも無理して働いた。心の悲鳴にも身体の異常にも見て見ぬふりをして過ごした。そうしたら気づくと危ないところまで来ていた。

 

そんなわけで精神科病院に入院することになったのだ。

 

 

 

普通なら入院なんか嫌ですと拒否するのかもしれない。私も最初はそうだった。

「精神科病院への入院」と聞いて抵抗のある人は少なくないと思う。

 

私の勝手なイメージでは精神科病院は映画「17歳のカルテ」の世界だった。ウィノナ・ライダーやアンジェリーナ・ジョリーが出演する映画で精神病棟が舞台になっている。明るい世界ではない。暗いし騒がしい。そして怖いイメージだった。

 

でも一度入院してみたら病院のイメージはすぐに変わった。それは私が入院した場所が開放病棟で「ストレスケア病棟」だったからというのもある。

 

 

 

そんな私でも入院を勧められて3度目の入院をすることになったとき、最初は生活の変化に戸惑った。

 

それは前日まで「普通」に仕事をしていたからというのもある。

でも入院したら、明日までに作成しなくてはいけない書類もないし締め切りも当然ない。家に帰ってご飯を作らなくていいし家事もやらなくていい。

 

ほとんど何も口に出来ずフラフラするのを誤魔化しながら仕事をして、夜は疲れているのに全然眠れなくて強い薬をのんでいた。家事なんかほとんどできなかったので簡単なご飯だけ作っていた。

朝になると眠くて眠くてカフェイン入りのドリンクを毎日飲んで出勤する。

それが私の日常だった。

 

心身共にボロボロになっている状態が普通になっていて、疲れているという感覚もどこかにいって「消えたい」という気持ちが自分の心を支配していた。

 

だから「何もしなくていい」ことが最初は落ち着かなかったし不安になることも多かった。

 

でも「何もしないで過ごす」ことは心の回復には大切なことだと知った。

 

ただ何かをするわけではない。

何も考えないで、ご飯を食べて、ゆっくり休む。

ただそれだけ。

 

 

体がボロボロになるまで働くことは「普通」のことではないということに入院してから初めて気づいた。

 

 

 

入院中は医師、看護師、作業療法士などいろいろなスタッフにお世話になったけれど、その中にHさんという男性看護師がいた。体格ががっちりしていて、いかにも精神科のスタッフという感じだった。

見た目は怖そうなのに話すと穏やかでとても優しい人だった。

Hさんには旅の話だけではなくて復職が不安なことも伝えていた。

ある日「焦らずにやっていくといいよ、復職プログラムとかあるんだから」と返してくれたかと思えば、また別の日は「マレーシアが好きならマレーシアで施設を作っちゃえばいいじゃん」と言われたり。その言葉で「あ、なんとかなるか」と何度も思えた。

 

退院2日前。その日の夜勤担当はHさんだった。夕食の配膳時も寝る前の薬の時間もその日は特に何も話さなかった。朝食の配膳時は別のスタッフが来てくれたので、Hさんと会話する機会はなかった。

少しさみしいけれど仕方ないかなんて思っていると、9時過ぎにHさんが部屋へ来てくれた。

 

「この時間あいてるし」

 

Hさんのその言葉だけで泣きそうだった。

退院が近いということでおそらく夜勤が終わってからわざわざ来てくれたのだと思う。入院してから人の優しさとか温かさを感じることが多かった。

 

「行けるうちに海外にたくさん行くといいよ」

「妊活とかそういうことも先生と相談していくといいよ」

たくさんアドバイスをくれて、その一つ一つがどれも誠実で優しかった。

 

最後は泣くのを我慢して笑顔でお礼を伝えた。

「じゃあ」

Hさんはいつもと変わらない様子で部屋から出ていった。

 

 

 

あれからもう何年も経つ。

心が苦しくなったり辛くなるたびにストレスケア病棟で過ごした日のことやHさんのことを思い出す。

 

「大丈夫、なんとかなる」

まずは寝て、食べて、何も考えないで、しっかり休む。

そうやって心が折れそうになるたびなんとか回復してきた。

 

 

今は「大人の夏休み」が遠い世界のように感じるくらい毎日がバタバタと慌ただしく過ぎていく。

あの場所で大人の夏休みを過ごすことはもうないだろうしHさんに会うこともない。でもあの夏ストレスケア病棟で過ごしたことはこれからも忘れないと思う。

それは私にとって大切な時間と大切な場所だから。

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